ε-δ論法について思うこと

ε-δ論法というのは大学の数学科に入って、序盤で出てくる関門として悪名高いですが、そこについて思うことがあるんですよね。数学科に入学する学生なら、ε-δ論法なる難しいものがあるらしいぞ、という情報を入学前から仕入れている人は多いと思いますが、これがε-δ論法を余計に難しいと思わせている気がするんです。数学をエンタメとして消化するコンテンツはたくさんあるんですが、そのなかで「ε-δ論法はむずかしい」ということを口をそろえて言っているせいで、学生の中にε-δ論法は難しいという固定観念が微積分を始める前からついてしまっているのではないでしょうか。そのせいで微積分の自習をしようにも、難しい概念があるらしいから進められるかどうか不安、という人はいると思うんですよね。

まあ、実際はそんな簡単なのかと言われると人によってしまうとは思うんですが、それでも難しいという固定観念がないほうが、ε-δ論法に対する壁がないままにその概念を取り込めるようになるのではないかと思います。

なのでこれから関数の極限の定義などに触れるよという人は、あまり難しいという意見にとらわれずに自由にやればいいと思います(私が言うことではないかもしれませんが)。

少しだけ難しいといわれる原因を考えてみました。まずは論理的な難しさじゃないでしょうか。慣れればどうってことないんですが、高校ではそこまで気にしていなかったような「任意の」とか「存在して」みたいな文言が並んでいることに圧倒されてしまう可能性は考えられます。これに関連して、もう一つ考えられるのは、実際にこの関数がこれこれの極限に収束することを定義に基づいて示せと言われたときに、どうやって証明すればいいかをわかっていないというのも考えられます。そこらへんは「任意の」とか「存在して」が含まれる命題はどうやって証明すればよいかを理解した後に、いくつか例を見て、たくさん自分で演習するしかないと思います(数学のほかのものについても同じようなことは言えますが)。慣れれば大したことはしていないことに気付くと思います。他には、なぜこの定義で高校までの「限りなく近づく」という表現を厳密に表すことができているかがわかりづらいというのもあるんでしょうか。これも慣れれば、「限りなく近づく」の感覚が極限の厳密な定義の中に入っていることがわかるようになるんです。

まあ、結局慣れるしかないということですが。数学は読むだけでは不十分ですからね。きちんと頭と手を使って学ばないと、その手触りは実感できないということです。これは私自身への戒めでもありますね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました