線型代数を勉強するならベクトル空間の概念は避けて通れません.今回の記事ではベクトル空間の導入を図ろうと思います.
平面ベクトル
「ベクトル」という単語については多くの人がなじみあるかもしれません.高校数学で出てきた「矢印」のことです.ベクトル空間というのは,この矢印の概念をより一般化したものになります.
先に記号を用意しておきましょう.\boldsymbol{\text{R}}で実数の集合を表すことにします.\boldsymbol{\text{R}}^2は実数の組を表します.例えば(1,2)は\boldsymbol{\text{R}}^2の元です.ですから,\boldsymbol{\text{R}}^2は平面上の点を表していると考えることができます.
平面ベクトルを復習してみましょう.平面ベクトルは2つの実数の組として表すことができました。ですから,平面ベクトルも\boldsymbol{\text{R}}^2の元であると考えることができます.そして,平面ベクトルには和とスカラー倍が定義されていました.それを確認してみます.
\vec{a},\vec{b},\vec{c}を平面ベクトルとします(つまり\boldsymbol{\text{R}}^2の元とします.).平面ベクトルの和は可換です.つまり
\vec{a}+\vec{b}=\vec{b}+\vec{a}
が成り立ちます.
さらに好きな順番で和を取ることができます.つまり結合則が成り立ちます:
(\vec{a}+\vec{b})+\vec{c}=\vec{a}+(\vec{b}+\vec{c})
この結合則が成り立っているおかげで,3つ以上のベクトルの和であっても,かっこを省いて\vec{a}+\vec{b}+\vec{c}と書いてよくなります.
零ベクトルという特別なベクトルがあったことも思い出しておきましょう.これは始点と終点が同じ矢印だと理解されます.特徴としては,どんなベクトルに足してもそのベクトルを変化させません.つまり
\vec{a}+\vec{0}=\vec{0}+\vec{a}=\vec{a}
が成り立ちます.
\vec{a}に対して逆向きの矢印-\vec{a}があります.\vec{a}と-\vec{a}はお互いに逆を向いているため,足し算をするとちょうど打ち消しあって零ベクトル\vec{0}になります.すなわち次の等式が成り立ちます:
\vec{a}+(-\vec{a})=\vec{0}
次にスカラー倍の基本的性質を見てみましょう.x,yを実数とします.このとき次の分配則が成り立ちました:
(x+y)\vec{a}=x\vec{a}+y\vec{a}\\ x(\vec{a}+\vec{b})=x\vec{a}+x\vec{b}
さらにスカラー倍に関しても次のような分配則が成り立ちます:
(xy)\vec{a}=x(y\vec{a})
最後に当たり前かもしれませんが,次のことが成り立ちます:
1\vec{a}=\vec{a}
ここまでは高校でやったことの復習です.
ベクトル空間の定義
すごく当たり前のように感じられますが,これまでに挙げた性質を次にまとめて書いてみましょう.
- \vec{a}+\vec{b}=\vec{b}+\vec{a}
- (\vec{a}+\vec{b})+\vec{c}=\vec{a}+(\vec{b}+\vec{c})
- \vec{a}+\vec{0}=\vec{0}+\vec{a}=\vec{a}
- \vec{a}+(-\vec{a})=\vec{0}
- (x+y)\vec{a}=x\vec{a}+y\vec{a}\\ x(\vec{a}+\vec{b})=x\vec{a}+x\vec{b}
- (xy)\vec{a}=x(y\vec{a})
- 1\vec{a}=\vec{a}
実はこれらの性質が成り立つような「空間」というのは,\boldsymbol{\text{R}}^2以外にもたくさんあります。そこで上の性質を満たす空間にベクトル空間という名前を付けてパッケージ化しておきましょう.
集合Vに加法とスカラー倍が定められており,それらが次の条件を満たすときVを実ベクトル空間という:
- Vの任意の元u,vに対して,u+v=v+u
- Vの任意の元u,v,wに対して,(u+v)+w=u+(v+w)
- Vの元0で,Vの任意の元vに対して,v+0=vが成り立つものが存在する
- Vの任意の元vに対して,Vの元v'で,v+v'=0となるものが存在する
- Vの任意の元u,vと任意の実数xに対して, x(u+v)=xu+xv
- Vの任意の元vと任意の実数x,yに対して,(xy)v=x(yv),\ (x+y)v=xv+yv
- Vの任意の元vに対して,1v=v
これらの条件をベクトル空間の公理と言います.ベクトル空間の元をベクトルと言います.3つ目の条件に出てくる0という元は,零元または零ベクトル,4つ目の条件のv'をvの逆元または逆ベクトルと言い,-vと書きます.またv+(-w)のことを省略してv-wとも書きます.
この定義にはいくつかの注意点があります.まず正確にはVと加法+とスカラー倍\cdotの組(V,+,\cdot)のことをベクトル空間と言います.しかし,たいていの場合はそれを省略してVをベクトル空間とする、などと言うことが多く,入門段階においてそのことはあまり意識しなくてもいい気はします.もう一つの注意点としては,スカラーとして実数ではなく,複素数を用いていもよいことです.場合によってはスカラーとして複素数を採用するほうが話が簡単になる場合もあります.スカラーが複素数の場合,複素ベクトル空間と言います.さらに一般化してスカラーとして体というものを考えることもできますが,実数または複素数で考えても全く同じなので,この記事では一般の体ではなくて,実数または複素数で考えることにします.ベクトル空間を線形空間ということもあります.
ベクトル空間の例
ベクトル空間の例を見てみます.
nを1以上の自然数とする.このとき\boldsymbol{\text{R}}^nをn個の実数の組全体の集合,すなわち
\boldsymbol{\text{R}}^n=\{(x_1,\dots,x_n)\mid x_1,\dots, x_n\in \boldsymbol{\text{R}}\}
と定める.この集合\boldsymbol{\text{R}}^nに加法と実数のスカラー倍を次のように定める:
(x_1,\dots,x_n)+(y_1,\dots,y_n)=(x_1+y_1,\dots,x_n+y_n)\\ a(x_1,\dots,x_n)=(ax_1,\dots,ax_n)
ただしaは実数とする.そして,この加法とスカラー倍により\boldsymbol{\text{R}}^nは実ベクトル空間となる.
例1の証明
定義1の条件(ベクトル空間の公理)を確認する:
- (x_1,\dots,x_n),(y_1,\dots,y_n)\in \boldsymbol{\text{R}}^nとすると
\begin{align*} (x_1,\dots,x_n)+(y_1,\dots,y_n)&=(x_1+y_1,\dots,x_n+y_n)\\ &=(y_1+x_1,\dots,y_n+x_n)\\ &=(y_1,\dots,y_n)+(x_1,\dots,x_n) \end{align*} - (x_1,\dots,x_n),(y_1,\dots,y_n),(z_1,\dots,z_n)\in \boldsymbol{\text{R}}^nとすると
\begin{align*} ((x_1,\dots,x_n)+(y_1,\dots,y_n))+(z_1,\dots,z_n)&=(x_1+y_1,\dots,x_n+y_n)+(z_1,\dots,z_n)\\ &=(x_1+y_1+z_1,\dots,x_n+y_n+z_n)\\ &=(x_1,\dots,x_n)+(y_1+z_1,\dots,y_n+z_n)\\ &=(x_1,\dots,x_n)+((y_1,\dots,y_n)+(z_1,\dots,z_n)) \end{align*} - \boldsymbol{\text{R}}^nの零元はすべての成分が0であるような元,つまり(0,\dots,0)である.実際
\begin{align*} (x_1,\dots,x_n)+(0,\dots,0)&=(x_1+0,\dots,x_n+0)\\ &=(x_1,\dots,x_n)\\ \end{align*}
である.(0,\dots,0)を単に0で表すことにする. - (x_1,\dots,x_n)\in \boldsymbol{\text{R}}^nに
(-x_1,\dots,-x_n) を加えると
\begin{align*} (x_1,\dots,x_n)+(-x_1,\dots,-x_n)&=(x_1+(-x_1),\dots,x_n+(-x_n))\\ &=(0,\dots,0)\\ &=0 \end{align*} - a\in \boldsymbol{\text{R}},(x_1,\dots,x_n),(y_1,\dots,y_n)\in \boldsymbol{\text{R}}^nとすると
\begin{align*} a((x_1,\dots,x_n)+(y_1,\dots,y_n))&=a(x_1+y_1,\dots,x_n+y_n)\\ &=(a(x_1+y_1),\dots,a(x_n+y_n))\\ &=(ax_1+ay_1,\dots,ax_n+ay_n)\\ &=(ax_1,\dots,ax_n)+(ay_1,\dots,ay_n)\\ &=a(x_1,\dots,x_n)+a(y_1,\dots,y_n) \end{align*} - a,b\in \boldsymbol{\text{R}},(x_1,\dots,x_n)\in \boldsymbol{\text{R}}^nとすると
\begin{align*} (ab)(x_1,\dots,x_n) &=((ab)x_1,\dots,(ab)x_n)\\ &=(a(bx_1),\dots,a(bx_n))\\ &=a(bx_1,\dots,bx_n)\\ &=a(b(x_1,\dots,x_n)) \end{align*}
であり
\begin{align*} (a+b)(x_1,\dots,x_n) &=((a+b)x_1,\dots,(a+b)x_n)\\ &=(ax_1+bx_1,\dots,ax_n+bx_n)\\ &=(ax_1,\dots,ax_n)+(bx_1,\dots,bx_n)\\ &=a(x_1,\dots,x_n)+b(x_1,\dots,x_n) \end{align*} - (x_1,\dots,x_n)\in \boldsymbol{\text{R}}^nとすると
\begin{align*} 1(x_1,\dots,x_n)&=(1x_1,\dots,1x_n)\\ &=(x_1,\dots,x_n) \end{align*}
である.
この例1のベクトル空間\boldsymbol{\text{R}}^nは記事の最初で述べた\boldsymbol{\text{R}}^2の一般化となっています.ベクトル空間\boldsymbol{\text{R}}^nはn次元数ベクトル空間やn次元数空間と呼ばれることがあります.数ベクトル空間の元のことを数ベクトルと言います.
P_2を2次の実係数多項式全体の集合とする.この集合の加法とスカラー倍は,普通の意味の多項式の和と実数倍で定義する.例えばf(x)=x^2+2x,g(x)=2x^2-1はP_2の元であり,その和は3x^2+2x-1である.このときP_2は実ベクトル空間となる.
P_2の零元は定数多項式0であり,f(x)の逆元は-f(x)です.
このようにベクトル空間という視点から覗くことで,一見異なって見える\boldsymbol{\text{R}}^nとP_2が同じ構造を持っていることが分かります.
まとめと参考文献
ベクトル空間とは加法とスカラー倍が定義され,ベクトル空間の公理を満たす空間のことです.ベクトル空間の例として数ベクトル空間\boldsymbol{\text{R}}^nや2次の実係数多項式全体の集合などがあります.
次の本を参考にしました:
数研講座シリーズ 大学教養 線形代数(加藤 文元)https://amzn.to/4aLrvYe
線型代数入門 (松坂和夫)https://amzn.to/3SCMMgv

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